ドイツとトルコの間で乗り越えてきた道
イルハンは、サッカー選手として、順風満帆だったわけではない。彼のピークと言える期間は、1999年からの3年間だろう。トルコ1部リーグのサムスンスポルに加入して、2001年にベシクタシュに移籍した。
ベシクタシュでは21ゴールを挙げ、得点王にもなった。その活躍もあって、日韓W杯のトルコ代表メンバーに選ばれたわけだが、その前後は、のべつ怪我に悩まされ続けていた。
その度に人生を模索し、乗り越えてきた経緯がある。ただ単に、気まぐれや成り行きで物事を決めているわけでない。さまざまな業種への挑戦は、イルハンが経験の中で身につけた、困難をやり過ごす「知恵」と言っていいだろう。
ドイツのバイエルン州ケンプテンで、トルコ移民の二世として生まれたイルハンは、少年期のほとんどをドイツで過ごした。9歳でトルコに渡るが、4年後再びドイツに戻っている。
イルハンは、いわゆるサッカー少年だったわけではない。アマチュアクラブに入団したのは14歳になってからだ。サッカーをはじめたのは、その時からだという。その後、いくつかのクラブを転々とするが、その中には、FCアウクスブルクや1.FCケルンといった名門クラブの下部組織もあり、ユースの大会では、優勝も経験している。
それでも、トップチームへの昇格は難しく、20歳の時にプロ選手になるべく再びトルコに渡った。ところが、トルコ語がしゃべれないことがネックとなり、チームになじめず、加えて椎間板ヘルニアを患うなど、失意の内にドイツに戻ることになる。イルハンは、この時一度サッカーを辞めている。
1年半のブランクの後、再びプロを目指すのは、22歳になってからだ。トルコ2部リーグのクシャダススポルでプレーし、そこからサムスンスポル、ベシクタシュでの活躍に至る。
【次ページ】怪我と芸能界。サッカーへの未練