サッカー一家に育ったフォルラン
「南アフリカで僕らはベスト4だった。僕はベストプレーヤーに選ばれた。でももう、そのことは考えない。唯一考えるのは、僕らが再び歴史を作り出すことができるということだけだ」
ワールドカップのテレビ中継視聴者加入を呼びかけるこの宣伝を通して、笑顔を見せているのは、セレッソ大阪移籍の決まったウルグアイ人アタッカー、ディエゴ・フォルランだ。
この宣伝は流れるやいなや、15日間で300万人もの人々が視聴する大ヒットとなった。300万アクセスというのはラテンアメリカのみに限った数字だが、中南米でのフォルラン人気の一つの目安になるのではないだろうか。
ブラジルやアルゼンチンに比べれば、地味なイメージのあるウルグアイだが、もともとウルグアイはワールドカップの歴史における最初の開催国、そして優勝国でもある歴史的なサッカー大国だ。
中でもディエゴ・フォルランは、その歴史を体現している存在だと言える。ディエゴの父、パブロ・フォルランはサッカー選手、それもワールドカップに三回、出場した経歴を持っている。
また、母方の祖父フアン・カルロス・カラッソもウルグアイ代表コーチを務めていた。フォルランは、生まれ落ちた時からまさにウルグアイサッカー界のサラブレッドだったのだ。
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