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意外と多い日本代表における右利きの左サイドバック

text by 編集部 photo by Asuka Kudo / Football Channel

左利きの左サイドバックは世界的にも不足している

 狂気のサイドバックの異名を取った都並敏史は“ドーハの悲劇”まで日本代表で一時代を築いた。そして日本が初めてワールドカップに出場した時は、相馬直樹が不動の存在だった。

 鹿島アントラーズで多くのタイトルを獲得し、理論派と呼ばれた相馬。彼も努力を重ね、左利きと間違われるほどの精度を手に入れたのだった。

 2002年ワールドカップ日韓大会、日本はフラット3と呼ばれる特殊な3バックを採用していたためサイドバックというポジションはなかった。2006年ワールドカップドイツ大会は3バックと4バックを併用していたが、4バック時は左利きの三都主アレサンドロが左サイドバックを担っていた。

 その後、長友が台頭し、他にも酒井高徳やジーコジャパン時代もメンバーだった駒野友一が右利きの左サイドバックとしてザックジャパンに名を連ねている。世界的に左利きの左サイドバックが不足しており、日本もそれは同じだ。しかし、たとえ右利きであってもそれぞれが努力をすることでポジションを掴んできたのだ。

 ちなみに先述の相馬は2010年、当時JFLだったFC町田ゼルビアの監督を務めているが、ワールドカップを経験した日本人としては初となる監督就任だった。

 そして今シーズン、戦いの場をJ3に移した町田の監督は、再び相馬が務めることになっている。

【了】

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