手荷物として持ち込んだJリーグ映像
日本とブラジルは遠い。
ノルベルト・ムラカミはどのようにJリーグの試合映像をブラジルに運ぶか頭を悩ませた。
選んだのは極めて原始的な方法――人間だった。
日本とブラジルの間には太い人間の流れが出来ていた。1989年、日本の出入国管理法が改定されている。これにより、三世までの日系人とその家族の日本入国が大幅に緩和されることになった。
日本は人手不足で単純作業の働き手を探していた。一方、ブラジルは70年代以降、経済は破綻、人々はよりよい働き場所を求めていた。双方の思惑が一致し、多くの日系ブラジル人が行き来するようになっていた。
まず、Jリーグの試合映像が収められた業務用ビデオテープは成田空港に送られる。空港でブラジルへ帰国する日系ブラジル人に渡された。
ノルベルトの指示は〈手荷物にして持ち込むこと〉〈サンパウロの空港に到着したとき、ビデオを手で抱えること〉の二点だった。
土曜日の試合映像は日曜日朝にサンパウロに着いた。ノルベルトはサンパウロの国際空港の到着口で待ち、ビデオテープを引き取り、謝礼を手渡した。ノルベルトはビデオを抱えて車でテレビ局に向かい、日曜日正午の放映に間に合わせた。
ノルベルトは幾つかの放送局と交渉し、『テレビ・クルトゥーラ』で放映することにしていた。
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