同じプレーでも国を変えると脚光の浴び方が変わる
日本の地域リーグでプレーしていた太田は、2010年にタイ・ディビジョン2(3部)でプロキャリアをスタートさせた。だが、「日本からも評価されるような活躍をしたい。どうせなら、日本人初となる国でプレーしよう」と、はじめはミャンマーに挑戦するも契約には至らず、カンボジアで初の日本人選手としてプレーすることになった。
「サッカーで死ぬまで飯を食いたいというのが、目標としてあるんです。その一番の近道はプロサッカー選手になること。でも日本ではチームも僕もまったく脚光を浴びることはなかった。海外で一から実績を作るしかなかった」
リーグ優勝も経験したことで、カンボジアで第一人者としての足場を確立。ブログやツイッターでも情報を発信し、「お陰様で“話を聞きたい”、“お会いしたい”という依頼が増えてきた。僕としても情報をしっかり流して、また他の何かにつながっていけばうれしい」と語る。
昨年、カンボジアリーグとJリーグはパートナーシップ協定を結んだが、記念に行われたサッカークリニックでもJリーグアジアアンバサダーの木場昌雄氏、丸山良明氏と共にコーチを務めた。もし、タイでプレーを続けていたら、現在のような状況はなかったかもしれない。
「サッカー選手は自分のマネジメント力がすごく重要だと思っていて、同じプレーの質でも国を変えれば脚光の浴び方がまったく違うじゃないですか。僕が今からレアル・マドリードと契約するのは無理。タイでプレーしたとしても、ただのサッカー選手になってしまう。今の方がやりがいはあります」
さらにカンボジアで活動の幅も広げることができた。
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