今回はあくまでも応急措置
果たして、効果はてき面だった。実行委員会からわずか半月後。協賛企業と再交渉を積み重ねた結果、事業収入の総額が今年から現状維持と
なることが決まった点を、中西理事は独特の言い回しで表現する。
「止血することができました」
もっとも、今回はあくまでも応急措置であり、中西理事も「新しい大会方式のメリットを最大化し、デメリットを最小化していく努力を重ねていくことが大事」と決意を新たにしていた。冒頭の諺における「魂」を入れていくわけだが、そもそも大会方式自体が極めて歪な形になった理由はどこにあるのか。
Jリーグ側はすでに、ポストシーズンの地上波生放送に関して、テレビ局側と交渉を開始している。その過程でテレビ局側から出された要望に、こういうものがあった。
「チャンピオンシップがなくなる、という事態だけは避けてほしい」
2002年シーズンはジュビロ磐田、翌2003年シーズンには横浜F・マリノスが両ステージ優勝を達成し、それまで高視聴率を弾き出してきたチャンピオンシップが開催されなかった。決して安くはない放映権料を支払う以上は、テレビ局側がこうしたリスクを未然に排除したいと考えるのは当然の流れだろう。
Jリーグ側としても、2004年まで実施された『2ステージ制+チャンピオンシップ』が最もシンプルで、分かりやすい方式であると認めている。理想は追い求めたいが、だからといって今回の改革の目的が何であるかを忘れてはならない。中西理事が苦しい胸の内を明かす。
「これ(ポストシーズン)を実施して(放映権料が)入ってこないというのは私たちにとってあり得ないことですし、必ず収入がある大会方式を模索せざるを得ませんでした」
そうした議論の過程で浮上したのが、年間の総合勝ち点1位のチームを無条件でチャンピオンシップに出場させるウルトラC案だった。
2000年シーズンには、年間の総合勝ち点で1位となった柏レイソルが、両ステージを制したマリノスと鹿島アントラーズによるチャンピオンシップに出られない矛盾が生じたことで議論が沸騰した。
こうしたトラウマを払拭でき、年間を通じて最も多く勝ち点を多く獲得したチームがリスペクトされるべき、という現行の1ステージ制継続を根強く求める声もある程度は汲み取ることができる。いわば玉虫色のシステムだったが、デメリットを最小化する作業は1ヶ月も経たないうちに袋小路に入り込んでしまう。