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「『見る眼がない』と散々に言われた」。当時の育成担当者語る、本田圭佑がガンバユースに上がれなかった理由

text by 飯尾篤史 photo by Kenzaburo Matsuoka , Kazhito Yamada / Kaz Photography

「ガンバは見る眼がない」と散々に言われた

 本田のサッカー人生は、その後も決して順風満帆ではない。

「『見る眼がない』と散々に言われた」。当時の育成担当者語る、本田圭佑がガンバユースに上がれなかった理由
北京オリンピックでは3戦全敗に終わっている【写真:松岡健三郎】

 08年1月に移籍したVVVでは2部落ちの屈辱を味わい、北京オリンピックでは3戦全敗に終わっている。

「VVVでも最初の頃はなかなか認めてもらえず、チャンスでパスが回って来なかった。チームも2部に落ちて、1部のチームに移籍できなかった。それでゴールを奪わなければ評価されないということに気付き、プレースタイルを変えたわけでしょう。

 そこに気付いたのは大きい。それも考え方でしょう。圭佑はたくさんの挫折を味わっている。それでも心が折れないのは、目標設定がしっかりしているからじゃないかな」

 では、上野山は今、家長のことはどう見ているのだろうか。

 高校2年のときにトップ登録され、プロデビューを飾った家長は、しかし、ガンバ大阪でついに主力になり切れなかった。その後、在籍した大分トリニータとセレッソ大阪では輝きを放ったが、本田の後を追うようにして、海を渡った先のマジョルカでは出番に恵まれなかった。期限付き移籍でガンバに復帰した時期もあったが、マジョルカを契約解除となった。

「アキのことをフォローするわけじゃないけど、ガンバで思うようなプレーができなかったことに関して、アキにも言い分はあるんです。一度、アキと腹を割って話をしたとき、不満を口にしていました。

 ただ、アキは監督と話し合わないし、主張しない。意固地なところがあって理解されにくい。一方、圭佑は自分がどう考えているのか主張するし、コミュニケーション能力があるから理解されやすい。

 でも、アキも環境を変え、大分でシャムスカやポポヴィッチ、セレッソでクルピと出会って理解され、韓国でも試合に出始めていた。アキも挫折を味わったわけで、ガンバに戻ってくるし、これからでしょう」(※編注:取材はガンバ復帰前に行った)

 育成は本当に難しいですね――。最後にそう問いかけると、上野山は「難しい。根気が要ります」と答え、こう続けた。

「まず子どもたちを信用してあげる。そして、問い掛け続けて考える力を養う。目標設定をさせて、その気にさせる。もちろんガンバが最後までその手助けをできればいいけど、その子が目標を達成できるなら、どんな道を辿ってもいいんです。

 そうそう、圭佑が注目されるようになってから『ガンバは見る眼ないな』ってよう言われました。結果論で言われたら、『その通りです』と言うしかない。マスコミの方も『なんで残さなかったんですか』と訊いてくる。そのとき分かっていれば、残しとるわってね(笑)」

 本田圭佑が思い描く自身の未来像――。それはレアル・マドリーで10番を背負うことだと彼は話している。

 20世紀最高のクラブである「エル・ブランコ」のエースナンバーを付けた日本人選手がサンチャゴ・ベルナベウのピッチに立つ!?

 常識では想像のつかないことだが、常に目標を設定し、それに向けて最大限の努力を続け、実現してきた彼のサッカー人生を振り返ると、一笑に付すことはできない。

【了】

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