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「『見る眼がない』と散々に言われた」。当時の育成担当者語る、本田圭佑がガンバユースに上がれなかった理由

text by 飯尾篤史 photo by Kenzaburo Matsuoka , Kazhito Yamada / Kaz Photography

「伸びなかったときのリスクも高いんです。一番大事なのは試合に出ること」

 ガンバ大阪ジュニアユースを卒業した本田は、石川県の名門、星稜高校に進学する。

 高校時代の本田について上野山の記憶に強く残っているのは、石川県選抜の一員として埼玉国体に出場していた、当時3年生の本田の姿である。

「すごくデカなっていて、驚きました。ガンバにいた頃は、ヒョロッとして華奢やったから、アカデミーの指導者たちと、『圭佑、あんなデカなってるで。信じられへんな』という話をしたんです。

 持久力やスタミナも付いていたかもしれないけど、走らないプレースタイルは相変わらずで、指示ばかり出していたね(笑)。『もうちょっと走ったほうがプロのスカウトの目に留まるのになぁ』と思ったのは覚えてますわ。

 でもその後、選手権で活躍して、プロ入りも決まって、『圭佑、良かったやないか』と。育成年代の指導に少しでも携わった者としては、もちろん嬉しいですよ」

 05年に名古屋グランパスに加入した本田は、1年目から出場機会を得ると、同年夏に家長とともにワールドユース出場を果たす。08年にはオランダのVVVに移籍し、同年夏に北京オリンピックにも出場した。10年になるとCSKAモスクワへと移籍し、W杯南アフリカ大会では、日本代表を決勝トーナメントへと導く活躍を見せるのだ。

 こうした本田の活躍をきっかけに、アカデミーでの判断基準も見直されたりしたのだろうか。

「いや、判断基準は変わりません。ただ、しいて言えば、今までは全員一致でスパッと決めていたけど、身体的な部分の判断は難しいから、将来性や可能性を見込んで多少幅広く見るようにはなったかな。

 でもね、伸びなかったときのリスクも高いんです。一番大事なのは試合に出ることだし、その選手のレベルに合った環境でサッカーをすること。ガンバで試合に出られないなら、外に出してあげたほうが選手のため。抱え込みすぎても良くないんです」

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