きっかけは研修で日本を訪れた1992年
Jリーグの試合映像をブラジルに持ち込んだのは、ノルベルト・ムラカミという日系人だった。
ノルベルトは1950年、日系二世としてサンパウロで生まれた。父親のサトシは広島生まれで、12才のとき一人で他の家族に混じってブラジルへ移民した。サトシは大学に進み弁護士となった。
家族がいない中、大学に通うことは並大抵のことではなかったろう。しかし、ノルベルトは父からそうした苦労話を聞かされたことはない。
ただ、第二次世界大戦直後のことは何度か聞かされた。ブラジルはアメリカなどの連合国軍に与し、日本人は敵国となった。日本人移民に対しては様々な嫌がらせ、脅しがあった。それを自分の友人たちが護ってくれたのだという。
サトシは七人の子どもをもうけ、ノルベルトは長男にあたる。ノルベルトは大学の経営学部を卒業後、日本の商社の子会社にあたる食品会社で働き始めた。92年、研修で日本を訪れる機会があった。そこでノルベルトはジーコのポスターを目にした。Jリーグが始まろうとしていたのだ。
ブラジルでJリーグの報道はほとんどなかった。日本から見てブラジルは地球の裏側にあたる。多くの日系移民がいるとはいえ、距離的にも心理的にも遠い関係だった。
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