大怪我も落ち込まなかった本田
口軽やかな本田がこの後も続けばよかったのだが、日韓戦から半月も経たない8月末のスパルタク・モスクワとのダービーで右ひざ半月板を損傷。長期離脱を強いられることになる。日本代表からも1年近く遠ざかることになった。
この大怪我は日本代表にとって大きなターニングポイントになった。本田がいない間、日本代表の調子はあまり上がらなかった。2011年11月にはザックジャパン発足から初となる黒星を北朝鮮戦で喫すると、翌年2月のウズベキスタン戦ではホームでまさかの敗戦。両試合とも本田は不在で、本田の早期復帰を望む声は日に日に高まった。
チームづくりも遅れたと言わざるを得ない。中心選手の本田を欠く中で、連携面は磨かれず、チームは停滞。本田が語った“自分たちのサッカー”はなかなかできず、2013年11月のベルギー遠征まで厳しい戦いが続いた。
それでも、当の本田はネガティブにとらえることはなかった。怪我なく順調に活躍していたならば、数年前に移籍が実現していた可能性もある。自身のキャリアプランに影響を及ぼしかねない事態でも、彼の口から語られたのは常にポジティブな言葉だ。
もしもっと早く移籍できていたとしても、そこが本田にとって適切なクラブだという保証はないからだ。そうしたポジティブな姿勢が今回のミラン移籍につながったのだろう。
本田はビッグクラブへの加入も「スタートに立った」とあくまでも勝負はこれからであることを強調した。日韓戦の前に「常に勝ちにはこだわっている」と語った本田。ミランそしてW杯を控える代表で、本田が求めるのは勝利という結果だ。
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