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あなたが観ている試合には“台本”があるかもしれない(後編)

text by デクラン・ヒル photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography

「汚職に対してできることは何もない」

 ひとつ、インターポールの釈明の機会となりそうなのが、2014年に彼らが新設する「八百長対策教育センター」だ。それがどこに設置されるか? なんと、シンガポールだ。多くのフィクサーが在住するまさにその国だ。ヨーロッパのサッカー界で八百長を行った自国民の逮捕と送還を拒否している国だ。広くはびこる八百長のため、自国のリーグが今となっては見る影もなくなっている国だ。インターポールが“教育センター”を設置するのはそんな国なのだ。

 不名誉なことだし、分別もなく、ショッキングだ。そしてそれは、国際サッカーの終わりを意味することになりかねない。これほど怠惰で、どうやってファンが国際レベルのスポーツを信頼できるだろうか? プレーは誠実に行われるかもしれないが、世界のトップに君臨するフィクサーが逮捕されないのに、どうして試合がクリーンだと言えるだろうか?

 アイルランドの偉大な哲学者であり劇作家のジョージ・バーナード・ショーは、かつてアメリカについてどう思うかと尋ねられ、こう答えた。アメリカは、文明化を経験することなく、野蛮さから退廃に向かった唯一の国だ――。

 この言葉は、スポーツ機関の関係者の汚職に対する態度を想起させる。7年前に、私が初めて八百長の危険性についてサッカー機関幹部に話をしたとき、多くの人は私の言うことを真に受けなかった。「私たちのスポーツの世界にそんな汚職が蔓延するなんてありえない」と、彼らは言った。しかし、あらゆる調査とスキャンダルを受けて、彼らは問題の解決に取り組むことなく、責任をとって職を辞さなければならなくなった。挙げ句に彼らはこんなことを言う。「汚職に対してできることは何もない」。

 7年前に、彼らがこの問題を否定したのは間違いだった。国際組織が現在でも、スポーツを守るために闘うことを拒否していることはもちろん間違いだし、「私たちにできることは何もない」と言うのも間違っている。

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