日本初のプロサッカー選手が誕生した瞬間
今でこそ笑って話すが、この家族の何とも軽い決断が“記録に残る選手”誕生のきっかけとなる。
台湾大学でもサッカー部へ入り、佐田は現役を続ける。そこで実力を発揮すると、なんと台湾代表に選出された。
「選ばれた後に向こう(台湾)のサッカー協会の関係者から『お前、華僑の人間なんだろ?』と聞かれたんです。どうも勘違いだったようで、『いや、華僑じゃないですよ』と言ってパスポートを見せると、『じゃあダメだ』となりました。
もちろん僕は日本人ですが、一国の代表として国を背負って試合に出るなんて、なかなか経験できないことじゃないですか。なにかぬか喜びのような感覚になって、落ち込みましたよね(笑)」
代表入りは叶わなかったが、実力は本物だ。ある時、佐田はスカウトの目に止まる。当時、東アジアでは香港リーグが活況を呈しており、近隣諸国から選手を集めていた。台湾にも触手を伸ばしていて、そこで佐田へ移籍の話が来る。接触してきたのは本契約をすることになる東方足球隊というクラブだ。
「二つ返事でOKしましたね。実は台湾代表の話がなくなって、ちょっとヤケになっていた部分もあったんです。『ええい、行ってやれ!』という感じですよね」
こうして日本人初の海外移籍を果たすと共に、日本初のプロサッカー選手が誕生したのだった。
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