長崎から台湾大学へそこへ現れたスカウト
「最初はラグビー部に入りたかったんです」と佐田はサッカーと出会った中学生時代を振り返る。ところが、佐田のいた中学校にはラグビー部がなかった。やむなく、「ラグビーと似ている」というサッカー部へと入る。その後、サッカーの名門・長崎南山高校へ進学し、才能を開花させる。
「杉山隆一さんに憧れていたのでポジションは同じく左ウイング。僕は右利きだったんだけど、意外にやりやすかった。ボールをもらって中へとドリブルで切り込んでシュート。これが得意なプレーだったね」
今風に言えば逆足のウイングでカットインが持ち味。実は羨望の的だった杉山も利き足は右。昔の映像を確認すると、メキシコ五輪3位決定戦での釜本邦茂のゴールは、彼の右足のクロスから生まれている。
佐田は全国大会出場こそ叶わなかったものの、長崎県選抜に選出されるまでになる。ところが、その後のキャリアとして日本の大学や実業団へは進まず、台湾大学を選択。「中国語を勉強したかった」のがその理由だが、「実は…」と後日談を明かしてくれた。
「高校を卒業して2年後くらいですか。ヤンマー(後のセレッソ大阪)と三菱(後の浦和レッズ)、それと古河(後のジェフ千葉)から話があったことが発覚したんです。酷いことに父と兄が僕に無断で勝手に断っていました(笑)。
『お前は高校のときから台湾に行くって言ってたから、断っといたよ』と言うんですけど、『えー!! 何それ!?』って思いましたよ。別に台湾行きを後悔しているわけではないですが、ちょっとがっかりしましたよね(笑)」
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