「やっとみんなと同じ土俵に立てた」
「世界に在日韓国人の可能性をアピールしたい」と2006年9月に帰化し、日本代表として2008年北京五輪の大舞台に立った李忠成。そんな彼にとってA代表入りは日本国籍取得時から心の抱き続けてきた大きな夢だった。
しかし北京五輪当時に所属していた柏レイソルでは徐々に出番を失い、2009年8月末に移籍したサンフレッチェ広島でも1年近くベンチを温めていた。そんな2010年9月、エース・佐藤寿人が負傷。長期離脱を強いられ、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督からチャンスを与えられた李はリーグ戦5試合連続得点の凄まじいゴールラッシュを披露した。
J1・12試合出場11得点という目覚ましい活躍を見せ、日本代表に就任したばかりのザッケローニ監督を振り向かせた。「李は自らの決定力で代表の座をもぎ取った」と指揮官が言うように、2011年アジアカップメンバーにも名乗りを上げた。
「代表入りはうれしかった。目標というか、夢だったのが日本代表なんで。12試合11点という結果は自分のキャリアの中でもそうそうないこと。3ヶ月前はJリーグのメンバー外だった選手なんですね。自分で何もかももぎ取るしかなかった。そう思ってここまで来れた。
これまでは自分と同世代の北京五輪の選手たちが代表に入って海外でも結果を残したているのをテレビでしか見れなくて、すごく悔しい思いをしていた。やっとみんなと同じ土俵に立てた。だからこそ、これからが大事なんです」とアジアカップを控えた2010年12月末にJグリーン堺で行われた直前合宿で、李は力を込めた。