過去にも“禁断の移籍”があった
この“禁断の移籍”というフレーズ。
日本ではあまり聞かれないものだが、実は過去にもあった。Jリーグにおける禁断の移籍第1号といえば、おそらく柱谷哲二だろう。現在、水戸ホーリーホックで指揮を執っている氏だが、選手としてはJリーグ発足当時の1992年、日産自動車(後の横浜マリノス)からヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)に電撃移籍している。
日産自動車と読売クラブといえば、日本リーグ時代から2強を築き、強烈なライバル関係にあった。その対戦は「黄金カード」と呼ばれており、それは93年Jリーグの開幕戦もこのカードだった事実が物語っていると言える。
そういった背景もあるため、日本代表選手であり主力DFである柱谷哲二が読売クラブに移籍することは、まさに「禁断の移籍」と言えた。
その結果、対戦時にはマリノスサポーターから厳しいブーイングを浴びたわけだが、その事実から「Jリーグで初めてブーイングを浴びせた選手」という説もあるほどである。
この禁断の移籍。
海外では、バルセロナのルイス・フィーゴがレアル・マドリーに移籍した際、怒ったバルセロナ・サポーターが、フィーゴ自身が経営する日本料理店を破壊し、試合中にはCKの際に豚の頭を投げつけたこともあった。来年のさいたまダービーで、青木はどんな反応をされるのか。注目である。
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