テレとスコラリに薫陶を受けたジュニーニョ・パウリスタ
一人の人間を描く際、印象の異なった別の人間を重ね合わせることで、本質をより際立つことがある。
現ブラジル代表監督、ルイス・フェリッペ・スコラリは手堅く、しっかりと勝利を掴んできた。彼の歴史は華々しい。95年にグレミオ、98年にパルメイラスでリベルタドーレス杯を制覇、ブラジル代表として2002年W杯優勝、ポルトガル代表として2004年ユーロで準優勝――。
フェリポンの上に重ねるとすれば――。テレ・サンターナ以外には思いつかない。
テレもまた、サンパウロFCで92年と93年のリベルタドーレス杯で優勝している。しかし、ブラジル代表監督として臨んだ82年と86年大会はいずれも優勝はできなかった。特にジーコ、ソクラテス、ファルカン、セレーゾのいた82年は優勝候補だった。
テレの目指したサッカーは攻撃的で、芸術サッカーとしてブラジル人から愛された。だからこそ、二大会連続、セレソンを任されることになったのだ。
この個性の違う二人の監督の薫陶を受けた選手に、ジュニーニョ・パウリスタがいる。
ジュニーニョが世界中からその名を知られるようになったのは93年だった。テレの率いるサンパウロFCがトヨタカップを制した。途中交代で入ったのが、若きジュニーニョだった。そして円熟期に入った2002年、日本と韓国で共催された大会でフェリポンと共にW杯を獲得した。
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