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またもJ1昇格に一歩及ばなかった京都サンガ。理想を追い求めた大木監督の悲運

text by 編集部 photo by Asuka Kudo / Football Channel

「京都に来て3年になります」

 試合後の記者会見。冒頭で応援に駆けつけてくれた京都サポーターに感謝の意を述べ、一瞬だけ間を置いた。そして意を決したかのように「京都に来て3年になります」と切り出した。

「1年目は、リーグ戦はあまりうまくいきませんでしたが、天皇杯でここ(国立)に来させてもらいました。あの時と同じ風景を見たような気がします。2年目はやはり3位で、プレーオフ準決勝で負けてしまいました。

 3年目はプレーオフ準決勝では勝ちましたが、決勝で敗れてしまいました。やはり、『持っている』の反対の『持っていない』ということかもしれません」

 就任3年目、勝負の1年だった。ショートパスサッカー、スモールフィールド。それが京都の、大木の、代名詞だった。理想を追い求め、観る者を魅了した新しいサッカーは、しかし、ときに勝負弱さも露呈してきた。

 今季の京都は、この2シーズンよりもオープンにサイドチェンジを交える回数がやや増えていた。それは、「持っていない」ことを自認する大木が、理想と勝負を天秤にかけて戦っていたことの一つの証左かもしれない。課題を克服し、ここ一番という勝負をものにするための。

 しかし、この日の昇格プレーオフ決勝は、今季途中に3-4-3から4-4-2にシステム変更を施し、より現実的なサッカーに舵を切ってから躍進し始めた、「昇格請負人」小林伸二監督率いる徳島ヴォルティスに、またもやられた。カウンターから与えたセットプレー、そして続けざまのカウンターからの計二発に沈んだ。

 2年連続で3位。2年前、J2にはプレーオフ制度が導入されたが、プレーオフ制度さえなければ大木京都はとっくの昔に戦いの舞台をJ1へ移していた。たしかに、大木は「持っていない」のかもしれない。

 理想を追い求め続けた大木サッカーのJ2での安定した戦いぶり、そしてクラブの資金力を持ってしたとき、京都が今後どれだけJ1で飛躍できるのか、そしてあのショートパスサッカーがJ1でどれだけ成長していくのか。この3年間、非常に興味深い対象であり続けたが、それはまたも叶わなかった。

【了】

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