突然の解雇通告
99年11月半ば、菅原は強化部長のクロドアウドから呼ばれた。クロドアウドは70年W杯優勝メンバーの一人である。
「スガ、来年の契約はない。家族もいるだろうから、帰ってもいいぞ」
解雇通告だった。感傷的な言葉は一切なかった。解雇は覚悟していたものの、この後どうしょうかと菅原は一瞬考えた。ブラジル人は親切で、生活は気に入っていた。今日本に戻れば、練習場所に困ってしまう。Jリーグのクラブに戻るとしても、時期的に中途半端だった。
「可能な限り、ここで練習したい」
菅原は契約期間が終わるまでチームに残ることにした。
しかし――。
来季、残留する選手だけで練習するということで、菅原はチーム練習から外された。しばらくすると、フィジカルコーチから呼ばれ、「こういうことは言いづらいのだけれど」と切り出された。
菅原を同じ時間にピッチに入らせないようにチームから厳命されたというのだ。
「チームとは別の時間に練習しよう。俺もその時間に来るから手伝ってやるよ」。申し訳なさそうに言われ、菅原は逆に恐縮した。
それも長く続かなかった。
今度はピッチに入ることを禁じられた。思案していると、「アパートもすぐに引き払うように」と連絡が来た。もはや菅原に選択肢はなかった。すぐに荷物をまとめてサンパウロの空港へ向かい、日本に戻ることになった。
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