自宅に帰れない若手選手
サントスの監督に新しく就任したのは、パオロ・アウトゥーリだった。アウトゥーリは後に鹿島アントラーズの監督にもなっている。前任者が呼び寄せた選手を使わないという監督がいる中、アウトゥーリは公平な男だった。アウトゥーリの元で菅原は時々ベンチ入りさせてもらった。
とはいえ、多くの時間はリザーブチーム(この当時はアスピランチと呼ばれた)で過ごすことになった。
アスピランチには下部組織のアマチュア選手たちが混じっている。下部組織の選手たちは、スタジアムに隣接した寮で暮らしていた。菅原たち家族を持っていないプロの選手たちはしばしば、その寮の食堂で食事をとった。
ブラジルの食事の基本は、アホイス(米)とフェジョンである。ブラジルの米は日本のように粘りは強くない。脂やにんにくを入れて炊いた、ぱさぱさの米である。アホイスの上にフェジョンをぶっかけ、肉と魚と一緒に食べる。フェジョンとは豆を意味し、茶色で大粒の豆を煮たスープである。
食堂では好きなだけ食べ物をとることができるようになっていた。アマチュア選手たちは皿にアホイス、フェジョン、肉、魚、野菜を山盛りに載せて黙々と食べていた。その量に菅原は圧倒された。食べることも仕事であるのだ。
練習がない日、若手選手が寮の周りをうろうろと歩いていたことがあった。
「どうして、家に帰らないの?」。菅原が何気なく訊ねると、幼い顔をした少年は寂しそうな表情になった。
ブラジルでは家族を大切にする。休日になると彼らはいそいそと自宅に帰っていく姿をいつも見ていたのだ。
「家に帰るバス代がないんだよ」
サントスの下部組織、ジュニオールは才能の宝庫である。それでもプロになれるのは一人か二人かもしれないと聞かされた。自宅へ帰る金もなく、プロ選手になって金を稼ぐことをひたすら考えている。とても日本ではハングリーという言葉は使えないと菅原は思うようになった。
彼らにとって、アスピランチの菅原は彼らにとって目障りな存在のはずだった。菅原がいなくなれば、下部組織の選手が昇格する可能性があった。その年下の彼らが菅原を気遣ってくれた。その優しさは申し訳ない程だった。