ライターが意見を述べる資格
私はサッカー監督がチームをマネジメントし、ひとつに束ねることのむつかしさを実感として知らない。その能力がないと自覚しているから、フリーランスのライターをやっているとも言える。
競技経験もお話にならない。指導理論、戦術理論についても同様だ。サッカーの現場において、私が世の監督たちを上回ることは何ひとつない。
だから、選手起用や戦術面に関しては口にチャックだ。結果、試合にどのような影響を与えたか論評を加えることはあっても、意見を述べる資格はないと考えている。その方面に造詣の深い書き手は、自信を持って切り込んでいけばいい。サッカー選手と同じように、ライターも個性の仕事である。
実際に高いレベルでプレーした実績がなければ本質に到達できないとの指摘は、圧倒的な正しさを持つ。しかし、経験主義一辺倒では、批評はごく限られた人々の間でしか存在できなくなる。
もしサッカーがそのような懐の浅いスポーツであれば、現在の世界的な流行はなかったはずだ。ピッチの現象を通じ、社会学や経済学、哲学、文学など要するに何でもできるからサッカーは面白い。
私は東京ヴェルディを活動の足場とするライターだ。01年の東京移転を機に取材を始めたから、今年で13年目を数える。そこでの体験をベースに、本稿のテーマである「番記者が監督を強く叩けない理由」を書き進めていきたい。編集部もまた、厄介な題材を振ってくれたものである。開き直ってパンツを脱がなきゃどうにもならない。
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