息子の試練、父としての本音
2008年春、「城福東京」の出だしは絶好調だった。息子は、よくクラスメートにせがまれては、選手のサインやシャツ、父親のサインも頼んできた。城福も、できる限りのことはしてやった。
調子のいい時はいい。これが負けはじめると、事態は一変する。
夏場に入り、FC東京は苦戦を強いられた。運動量を要する戦術に、夏の暑さが足かせとなったのかもしれない。怪我人も続き、思うように勝てなくなっていた。
子どもの世界は、残酷なまでにストレートである。悪気はなくとも、その言葉には容赦というものがない。父親のチームが連敗をはじめると、教室の中でコールが湧き起こった。
『原トーキョー! 原トーキョー!』
前監督を讃える大合唱は、拍手と笑いともに、クラス中を巻き込んだ。
その夜、息子は父にこう言った。
「親父、俺は今受験の時期だし、高校生だからいいけど、これが中学の時だったら、間違いなく登校拒否だね」
言葉が出なかった。前任者の原博実氏とは、大学の先輩後輩の間柄。仲もいいし、世話にもなっている。自分が比べられるぶんには一向にかまわない。
しかし、実際にからかわれているのは、息子だった。城福は、監督業のかたわら、サッカー協会が主催している研修の手伝いをしていた。サッカーの指導者ライセンス取得のための、インストラクターの仕事だった。
あの夜の息子とのやり取り以降、城福は受講者にこう話すようになったという。
「みなさんへのアドバイスはない。そんな大きなことは言えない。ひとつだけ言えるのは、本当にプロの監督をやる覚悟があるのなら、子どもが中学を卒業してからにした方がいい」
父としての本音である。
【次ページ】城福氏の原点、兄と比較された少年時代