22才、契約打ち切りの宣告
治安が悪い、日本では考えられない不便がある――それでもブラジルに魅せられる人は絶えない。そうした人間は必ずブラジル人の懐に飛び込んだ時の暖かさを知っている。
菅原智もその一人だ。彼は99年シーズン、サントスFCに所属したことがある。
菅原のブラジル行きは、自らの強い希望ではなかった。
北海道で生まれた菅原は、小学生6年生からヴェルディ川崎の下部組織に入った。年を取るごとに、上のカテゴリーへと進んだ。高校2年生の時、現在のクラブハウスが完成した。真新しい建物を眩く仰ぎ見たことを覚えている。
95年、ヴェルディとプロ契約。運動量豊富な中盤の選手として、96年シーズンには18試合、97年には20試合に出場している。
転機となったのは98年のことだった。ヴェルディの運営会社が読売新聞から日本テレビへと変わり、クラブは大幅な予算削減を余儀なくされた。11月末、菅原はクラブハウスの一室に呼ばれ、来年の契約がないことを告げられた。プロ入り4年目、22才だった。
サッカーを諦める気はなかった。
知人に相談して他のJリーグのクラブを探して貰うことにした。幾つかのクラブが興味を示してくれたが、本格的な交渉に入るのには時間が掛かりそうだった。そんな中、思わぬ話が舞い込んできた。サントスFC監督となっていたエメルソン・レオンが菅原の面倒をみてもいいと言うのだ。
レオンは95、96シーズンにヴェルディの監督だった。レオンは堅実で手を抜かない菅原のことを買っていた。
――チャレンジしてみよう。