成功例の裏側にあること
「好きなだけでサッカーをしていた時期が終わったんだな、と。この時期の大学リーグの1試合は本当に大事ですから、悔いを残さないようにやりきりたい。12月のインカレ(全日本大学サッカー選手権大会)が終わったら、すべて決めるつもりでいます。最後の勝負です。
毎年12月30日、ランドでのファミリーサッカー大会(アカデミー出身の親子が一堂に会する蹴り納め)には行きますよ。同期はみんな集まるはずです。そこで就活とかヘタなことを言ったらカツを入れられちゃうなぁ」
渋谷は苦笑いしつつ、表情をきゅっと引き締める。インカレの開幕は12月15日。関東に割り当てられるのは5.5枠(リーグ戦の上位5チームと6位はプレーオフで決定)。11月23日と24日の最終節を残し、中大は7位と苦戦している。土壇場の大逆転、頼むぞ。
たぶん僕は、クラブが輩出する選手の将来を経過観察して、成功だとか失敗だとかくくるのに疲れてしまったのだ。ましてやクラブの選手育成の実績や日本サッカーの育成計画と、彼らの人生は関係がない。それぞれの生を懸命に生きる。
また、こうも思う。仮に彼らが望むような結果を得られなかったとしても、これまでの足跡は少しも損なわれない。2010年の夏、東京Vユースの92年組は心を震わせるサッカーを見せてくれた。それはそれでいいじゃないか。その先がどうあれ、過去まで灰色に塗りつぶすことはない。
プロになり、一定の成功を収め、優勝の味を知り、さらには日本代表に選出され、海外に移籍し、そこでも成功を収める。そうしてトップに立てるのはほんの一握りだ。真の成功を極めた者しか認められないという理屈なら、僕たちの誰もが何らかの失敗作として生きていくことになる。
基本、歴史は勝者の側から描かれる。晩熟型の選手が大学で力をつけ、プロで活躍するのはよくある話だ。多くの成功例を知っているわりに、いまいちリアリティーが乏しい。理由は見当がついている。
その裏側にあることを僕は知らず、こぼれ落ちてしまうことにも注目してこなかったからだ。大学サッカーが何を育み、何をスポイルするのか。結果として、東京Vユースの出身者に限らず、20歳前後の選手が直面する普遍的な事柄が浮かび上がってくるかもしれない。
プロの道に進んだ者、大学に進んだ者、それぞれの喜びがあり、苦闘がある。2013年の冬、東京Vユースの92年組を追い、彼らのいまを伝えたい。
(文中敬称略)
【了】