読売クラブのファンだった父
渋谷亮と東京Vを結ぶ縁は特別だ。それは父と子の物語でもある。父の義則は読売クラブ時代からの大ファン。生後2か月の息子に愛するクラブのフラッグをかけ、記念写真を撮るほどの緑狂である。
亮は父親が指導していた世田谷区の砧少年サッカーチームでボールを蹴り始めた。そして、当然のごとく東京Vジュニアのセレクションを受ける。新小4のセレクションは落選したが、翌年の新小5のセレクションを見事に通過した。
「父は、よかったなぁみたいな軽い感じでした。いま振り返れば、相当喜んでいたと思うんですが、子どもだったからそういう気持ちがよくわかってなかったんです」(亮)
「亮はハイハイしていた時期からボールに触っています。ほかの遊びは与えなかったですから。セレクションに受かったときは、そりゃあ、まぁね(笑)。壁にぶつかったとき、亮は必死に乗り越えようとする。それをそばで見ているのが好きなんですよ。面白いなぁ、がんばってるなぁと感心しながら見守っています」(義則)
1983年、読売クラブがリーグ初優勝を決めたスタジアムに義則はいた。試合後、選手たちはスタンドのファンにユニフォームを投げ込んだ。義則は小見幸隆のシャツをキャッチした。背番号は6である。その20数年後、亮は東京Vのユニフォームを身にまとい、6番を背負った。いかにもできすぎた話だが、まれにこういうことが現実に起こるのである。
「大学で試合に出られなくてつらいだろうなと思いましたが、亮の顔つきを見ているといい経験をしているようです。下働きのようなことはやってこなかったですからね。今後について、親としては心配もありますが、最後は本人が決めればいい」(義則)
そして現在、大学3年の冬、渋谷は苦悩の渦中にある。目指すプロへの道筋は見えてこず、考えもしなかった選択が浮上しつつあった。