「僕はヴェルディ以外に興味がないんです」
初めて、渋谷にインタビューを申し込んだのは2011年の冬だった。場所は中大多摩キャンパスの学食である。
「あのスピーチは、本来はキャプテンの木鈴の役目なんですけど、あいつはそういうのがあまり得意じゃないので代わりに僕がやりました。
当日、ミニさん(中村忠、現FC東京U-15コーチ)に原稿を見せたら、『こんなんじゃダメ。もっと気持ちを込めろ』と書き直すことになっちゃって。だから……あのときの言葉はその場で思いついたというか、ぽんっと出てきた感じなんです」と、屈託なく笑う。
渋谷はジュニアユースの1年目に大きな挫折を経験している。ナイキプレミアカップジャパン2006。92年組で構成されるチームで、渋谷はメンバーから漏れた。正直、さっさと負けちまえと思ったが、東京Vジュニアユースは全国制覇。
「自分のチームなのに、自分のチームじゃないみたい」砂の噛むような日々を経て、次のタイトル獲得は2010年のクラブユース選手権まで待たなければならなかった。小林とダブルボランチを組み、文句なしの中心選手として活躍した渋谷は大粒の涙を流している。
「僕らの世代はジュニアユースから入ってきたのが強烈だったんです。祐希、善朗、光司、南部健造、牧野修造(ともに中京大3年)、実力が違いすぎて全然太刀打ちできなかった。最初の頃、祐希のことは嫌いだったなぁ。口を開けば文句ばっかり。
うめえから何も言い返せないけど、なんだよコイツって思ってた。すごいですよね、あいつは。サッカーのためなら、周り全員敵に回してもいいと決めている。人間関係とか気にしない。そういう強さがある」
そのほか、試合中に勃発するキローラン兄弟の喧嘩の仲裁が大変だったこと。高野は何をしても怒らない仏のような心を持ち、チームきっての好漢だったこと。それなのに試合では汚いプレー(審判の目を盗んで、相手選手をつねったりする!)を、しれっとした顔でやること。全部ひっくるめて「サッカーをやってて、楽しかった。最高のチームでした」となる。
「大学の4年間で力をつけて、ヴェルディに帰る。僕はヴェルディ以外に興味がないんです」
と、こちらを真っ直ぐ見て、宣言した。