元気が余っているサッカーじじい
大学サッカーを観戦するときは、チーム関係者などの身内が集まるエリアが面白い。僕は部外者のくせに何食わぬ顔をして、こっそり身体をすべり込ませる。そこには、サッカー部のOBだろう、じいさんが必ずいる。孫のような年齢の後輩たちに、厳しくも温かいまなざしを送るサッカーじじいが。
じじいは総監督や部長とも見知った仲だ。「11番の彼は巧くなったね。この夏で一気に伸びた」とじじいが言えば、「そうですね」と総監督が返す。何を言われても否定はしない。大学の指導者もまたOBであるケースが少なくない。つまり、じじいのかわいい後輩だ。
体育会系の縦社会、上下関係は一方が死ぬまで続く。順番からいえば、じじいが先だが、とかくサッカーじじいは元気が余っている。うっかりしていると、順番を追い越しかねない。
どの大学にも口やかましいOBのじじいがひとりはいる。監督や選手にとっては、ときには煙たい存在だろうと想像される。
「なんだあのへっぴり腰は。おれはああいうプレーがいやなんだよな」
「行けよ、攻めろよ、男の子だろうが」
「ナイスカバーだ。いまのプレーはよかった」
じじいは、むつかいしことを言わない。ダイアゴナルランとか口にするじじいに、僕は会ったことがない。だが、そこがいい。いつか僕はじじいのようにサッカーを見たいと思っているのかもしれない。憧れといっては大げさだが、それに近い感情がある。
あいにく僕はサッカー部の出身ではない。だから、その対象は長年見続けてきた東京ヴェルディになる。何人かの友だちと一緒に観戦し、いいプレーに目を細めたり、ぼやいたりする。悪態はほどほどに、まぁ愉しく応援したい。
「桜井直人のドリブルはもっとすごかったぜ」とか、通っぽいこともたまには。で、ハーフタイムにそのへんの若いのを捕まえ、「いい時代になったもんだ。昔は経営が火の車でよ。二度も傾きかけたんだ」なんて聞かれてもいないことを話したりする。
後半、その若いのは席を移動し、僕から距離を取る。迷惑だったかなと少しばかり反省するが、次の試合には同じことをやってしまう。「あのじじい、うっせえよ」と後ろ指をさされることもあるだろう。甘んじて受ける。そんなイメージをしていると、気分がほわほわしてくる。いまのクラブがどれほど酷い有り様だろうと、希望が湧いてくる。