柿谷発言への違和感
そしてドイツのお隣の国、ベルギーはゲンク、クリスタル・アレナで行われた試合、日本対オランダ戦で、もっとも気になったのは「77分」のシーンだった。途中交代で出場した柿谷曜一朗が、シュートを外したシーンである。
あれを決めていればオランダに勝てたかもしれないのに、とここで外した柿谷を責める気は毛頭ない。僕はゴール真裏上段の席から柿谷がGKと1対1になり外したシーンを間近で観ていたのだが、どこか肩に力が入り過ぎているような感があった。
そして肩に力が入り過ぎた理由、つまり柿谷が外した理由と、僕が「landerspiel」という言葉に違和感を覚えた感覚は、根っこの部分で共通するところがあるような気がしてならないのだ。
今年の8月のウルグアイ戦のあとに日本で放映されたあるドキュメンタリー番組の冒頭で、柿谷はこう述べている。
「アレ(ウルグアイ)が『世界』やったら、日本はW杯で優勝出来る」
ここで彼は「世界」という言葉を使っている。多くの日本に住んでいる方は違和感はなかっただろうし、僕も日本に住んでいる頃であれば、特に違和感を覚えなかった。
うろ覚えで恐縮なのだが、フランスW杯が終わった頃、サッカーが好きな小説家の方が何かのコラムで、確か「世界」という言葉に対する違和感を述べていた…と記憶している。そのときは「なるほど」と思ったものだったが、その違和感がこの2日間で僕の中から表面化した。
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