11月9日放送されたテレビ東京「FOOT×BRAIN」は「三浦淳宏引退試合SP!横浜フリューゲルスを考える」。1999年の横浜フリューゲルス消滅時のメンバーだった三浦淳宏と楢崎正剛が三ツ沢球技場で当時の記憶を語った。
横浜フリューゲルスの消滅という「忘れてはならない悲劇」。
当時のメンバーだった山口素弘が「傷ついた人がたくさんいる」と言えば、永井秀樹も「簡単には語れない部分がある。負けた瞬間にチームがなくなるのだから、降格というレベルではない」と口にする。
チームの合併消滅について、多くの選手がその日の新聞での報道で初めて知ったのだという。フリューゲルスはマリノスに吸収合併されることとなったが、事前の説明がないままの決定となったこともあり、サポーターを中心に合併に反対する署名運動が全国で起きた。当時の日々について三浦が回想する。
「選手もサポーターも誰も諦めてなかった。練習が終わってからは自分の近くの駅で署名活動をしていた。トレーニングと署名活動をずっとしていた」
その後、リーグ戦、カップ戦の9試合を通じて、フリューゲルスは負けなしし。1999年元日の天皇杯決勝でも清水に逆転勝利し、劇的な優勝で幕を閉じた。
その後、フリューゲルスのサポーターが横浜フリエスポーツクラブを設立。これが現在の横浜FCである。初代GMである奥寺康彦氏はこう振り返る。
「あれは事件と言っていい。僕らもショックだった。それがあってサッカーやフリューゲルスを応援している方が、熱い気持ちで横浜FCを立ち上げてくれたことはすごく大きなこと。自分たちの力でもできることを見せてくれた。皆さんの気持ち、思いが本当に熱ければことが起こせる良い例」
そして現在も現役選手として続けている名古屋グランパスの楢崎正剛は、横浜フリューゲルスを風化させないためにも名古屋グランパスでずっとプレーしているという。
移籍しない限り、Jリーグで配られるスタメン表の前所属チームが「横浜フリューゲルス」と掲載され続けるからだ。「そうやって記憶に残ることが大事だと思っている。忘れ去られてしまうので」と楢崎正剛は話す。
忘れてはならない悲劇。そこを振り返ることが日本サッカーの未来を探るヒントにもなる。
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