「話のわかる編集長に救われてきた」
──『サッカー批評』の生みの親である、双葉社の真井新さん(故人)ですか?
佐山 真井ちゃんももちろんそうだし、『Number』の編集者だった今村淳。一級下のこ今ちゃんは、98年に難病で亡くなっているんだけど、釜本邦茂引退特集号や、日本代表の取材で平壌、ソウルにも行かせてもらいました。
あと80年代の後半はプロ、アマの野球にも強い『イレブン』の編集長だった手塚宣武さんですね。そして『サッカー批評』と『フットボールサミット』にかかわる森哲也も21世紀に入って救世主のように現れた。
――そうそうたる顔ぶれですね
佐山 共通して言えるのは、まあ、よく酒飲んだり,遊んだりしたなあということ。一緒に観た試合の数より飲食の回数の方が多いんじゃないかというくらいで(笑)。まあ、そういう感じで、話のわかる編集者に救われてきた歴史というのはありますね。
──「遺言感」の話に戻りますけど、下の世代が書いたサッカー本を読んで、ブックライターの後輩たちに何か言いたいことがあるとすれば、どんなことでしょうか
佐山 若手を一括りに出来ないですよね。若くても、すごい人はすごいし。むしろ編集者に言いたいという感じかな。「このままで(本として)出しちゃっていいの?」って言いたくなることが多いです。だって、デビューする人の原稿を最終的にチェックする立場にあるのと同時に、最初の読者でもあるんだから。ただ、不足を感じても、因業ジジーみたいに顔には出さないようにしているんです。
森 そういえば遠回しにおっしゃって、後で「あれ、嫌味だったのか」っていうのはありますよね。
──なるほど(笑)
佐山 後で痛痒くなるるような感じで、チクっと刺せるようになると楽しいでしょうね(笑)。
森 まあ、本当に勉強になることばっかりですよ。
佐山 なんかそれも後で痛痒くなりそうなヨイショだなー(笑)。
【了】