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戸田和幸という生き方(後編)

text by 大泉実成 photo by editorial staff

「リベロやるならそれが一番面白いじゃないですか」

──2006、2007シーズンはサンフレッチェでした。

戸田 給料で言えばヴェルディに残ったほうが全然よかったです。だからお金じゃなかった。ただ会って話をした時に「攻撃はこういうふうにやるから、戸田さんには中盤を締めて欲しい」って言われたんで、僕のキャラクターを認めてくれてるんだなと思って、それで行ったんです。

 ところが行ってみたら攻撃のコマが足らなかったんですよ。もらっていた話と違っていたので、なかなか自分の役割が定まらないうちにシーズンが始まっちゃったっていうのが実情ですね。で、全然勝てなくて試行錯誤していたら、ペトロヴィッチ監督が来たんですよ。

──彼は独特のシステムを使いますね。

戸田 あのシステムの中でリベロをやる人間がいなかったんですよ。俺しかいないなと思っていたら、結局やることになった。リベロをやるなら実はもっと攻めたかったんです。サイドバックをやっていた時もそうだったんですけど、後ろに構えて、空いてるところを見つけて出て行くのは得意だったんですよ。

 リベロやるならそれが一番面白いじゃないですか。でもあまりそういうプレーは要求されなかった。ゲームキャプテンでしたし、球出しとかはすごい求められてやってましたけど。だから最初の半年はすごいよかったですよ。堅守速攻がハマって、問題なく残留できた。ところが2年目はうまくいかなかった。

──戸田さんは若手とのポジション争いに敗れた、というように言われていますね。

戸田 それはあまり正しくないですね。僕はチームでも年長組でしたから、チーム全体のことを考える立場にいた。だから、全体がうまく回るように人と人とをつなげる仕事をしていたんですね。当時の広島は2部落ちしてはいけないチームだった。だから、勝つためにチームの力を集結するべきだし、そのためには自分が出られなくてもいいと思っていたわけです。

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