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戸田和幸という生き方(前編)

text by 大泉実成 photo by editorial staff

常に作り直す人生だった

──高校は桐蔭学園に進まれますね。

戸田 はい。でも別に桐蔭に行きたかったわけじゃないんです。帝京には行きたくなかったんです。帝京に行った選手が多くて、4、5人いたかな。みんな帝京のあの渦に巻き込まれて終わっていったんですよ。僕の場合はたまたまセレクションとかに行って、都選抜とかに入っていたからですかね、(桐蔭の李国秀)監督が見ていてくれたらしいんです。僕としては当時強かった四中工とかに行きたかったんですけど、小倉(隆史)さんとかがいた。

──桐蔭というとそれなりに成績もとらないと…

戸田 と、思うでしょう。でもそれはなんとかなるんです。僕って不器用だから、勉強する時間があるなら、サッカーに全部かけないとプロになれないって思う、そういうタイプなんです。

──目的を持ったら、あらゆるものをそこに集中する。

戸田 それはもう中学生の時からですね。中二ぐらいまでは偏差値65ぐらいあったんですよ。でもプロになろうと思ったから、そこで勉強はやめちゃったんですね。親ともそれでよくケンカしたんです。だから三年になったら50まで落ちちゃって、でも俺はサッカーで生きていくって子どもながらに覚悟を決めていたところがあったから。だから自分の子どもには勉強とかは勧めないですね。

──中学のときはサッカーの何が面白かったですか。

戸田 ドリブル。僕はドリブラーでしたから。ライン際のドリブルで、自分のドリブルの方が相手のダッシュより速かったですから、今とは全然違うプレースタイルで、人を抜くのが楽しかったですね。

──すごい意外な感じがしますね。そして戸田さんはU‐17の代表に呼ばれて本大会で活躍されます。このチームはかなり長い強化期間があったんですが、戸田さんがあのチームに呼ばれたのっていつごろですか。

戸田 かなり後の方ですよ。

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