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戸田和幸という生き方(前編)

あれから8年、ぎらぎらと輝いたその目には、気品と深みがたずさえられていた。起伏に富んだこれまでのサッカー人生を淡々と歯切れよく振り返る。しかし、言葉に軽さはない。現在はザスパ草津に所属する戸田和幸を追った。
※2010年11月取材のものです

text by 大泉実成 photo by editorial staff

【後編はこちら】 | 【サッカー批評issue49】掲載

常に上を目指しもがいてきた

戸田和幸という生き方(前編)
戸田和幸【写真:編集部】

 戸田和幸がクラブハウスを出て練習場に入ってきた。

 その立ち姿を見て、僕は衝撃を受けていた。

 背筋がぴんと伸び、おそろしく堂々としていて、他を圧倒している。その間、短時間だったが、彼は非常に多くのものを実に丹念に見ていた。練習場や周囲の様子、選手やスタッフがどう動いているのか。僕たち取材クルーもその視線にさらされた。そして数秒後、彼は何事もなかったかのように穏やかな口調で監督と話し始めた。おそらく客観的には、1人の選手が建物から出てきて監督と談笑しているだけにしか見えなかっただろう。しかし僕には、戸田の体から、何かとてつもない気のようなものが発せられているように感じられた。

 とりわけ特徴的なのはその目だった。それは、何かわけのわからぬものに対する挑戦の意志で、ぎらぎらと輝いていた。

 無論、そこから発散するエネルギーは、戸田がもっともメディアに露出していた2002年にも感じたものだった。しかし、あれから8年たって、その目には気品と深みが加えられていた。いったい8年間に何があったのかはわからないが、おそらくその間の戸田の経験が、彼自身の深層を変えていったのだろう。目は心の窓だとはよく言ったものだった。

 1993年U-17日本代表をめぐる『ハード・アフター・ハード』の旅で、あるいは僕はとんでもない怪物に出くわしたのかもしれなかった。

 インタビューを終えた2時間後、僕は自分の直観が外れなかったことに改めて驚いた。それにしても、なんと濃厚な男に出会ったのだろう。

──サッカーを始められたのは淵野辺東FCですね。どんなきっかけだったんですか。

戸田 もともと野球のほうが好きだったんですよ。親父が好きだったから、よく一緒にキャッチボールとかしてたし、「荒木になれる」とか言われて、そそのかされてやってたんですけど、野球って四年生からしかできなかったんですよ。で、サッカーは三年だったんです。兄貴が先に始めてて、見に行くじゃないですか。それでちょっとやってみたら、他の子より少しだけうまかった。それで面白いと思ったんじゃないですかね。

──じゃあきっかけはお兄さん。

戸田 ある時期までは兄ちゃんの真似しかしていなかった。兄貴とおんなじ組じゃないといやだった。追っかけてましたからね。

──戸田さんの生き方を見ていると、常に自分より上の人間に追いつこうと努力されていますが、その原型ですかね。

戸田 そうでしょうね。兄貴は何でもできるんですよ。まあ憧れだったんですかね。運動面ではとにかく足が速くて、運動会ではヒーローでしたから。自慢のお兄ちゃんという感じでした。

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