「自分にも夢を追う資格がある」と気づいてほしい
2013年8月半ば、炎天下の長良川球技メドウに彼を迎えた。カバーなどに使う写真を撮影するためだ。チームの練習時間との兼ね合いで、昼過ぎの一番暑い時間帯に屋外で撮影することになってしまったが、彼は文句のひとつも言わず、2時間近くも被写体になってくれた。ユニフォーム姿だけでなく私服姿でもたくさんの写真を撮らせてもらったのだが、その大半はお蔵入りとなってしまった。大した罪滅ぼしにもならないが、せめてその時撮った写真の何枚かを、本稿に添えたい。
撮影の間、とりとめのない雑談を交わしたが、中でも一番楽しそうに語ってくれたのは、彼の幼い息子のことだった。
「やっぱり、息子さんにもサッカーをやってほしいですか」
「強制はしないけど……やってくれたらうれしいかな」
この10年、悲しみと悔しさと喜びでどれだけの涙を流してきたかわからない大きな目が、照れくさそうに細められた。
2003年11月、彼の身に病魔が舞い降りなかったら、彼はどんな人生を送っていただろう。今より幸福だっただろうか。それとも──それは誰にもわからない。だが、プロのピッチでプレーする姿を愛する家族に一日でも長く見せ続けたい、ただそう願って走り続ける彼の顔には、今の自分を悲劇の主人公と思っている様子は微塵もうかがえない。
本書が生まれるきっかけとなった少年は、風のうわさに聞いた話では、ユースには上がれなかったものの高校でサッカーを再開したという。それまでとは別の、夢の追いかけ方に気づいたのだと思う。
この少年にもまた、人生の起伏が待ち受けているだろう。しかし、決して下り坂だけではない。絶望だけではないはずだ。理不尽な逆境に苦しむ人、特に子供たちの1人でも多くに、「自分にも夢を追う資格がある」と気づいてほしい。私も、そして杉山新も、心からそう願っている。
【了】