J2の小さな声
――どうも頭打ちになっている印象のJリーグについて、選手の立場から打破のカギとなることは見つけられますか?
「いつになったら岐阜のような新興クラブがJ1で戦えるようになるか。チーム、フロント、行政、さまざまなものが最高のタイミングで噛み合わなければ変われない。時間がかかると思います。最近つくづく思うのは、自分が精一杯のプレーをしても、それだけでうまくいく世界ではないんだなということ。手の届かない領域があるのを強く感じる」
――現場だけでは限界がある?
「いつの日か、サッカー協会の会長をカズさんにやってもらいたいです。結局、そこじゃないですか。今は選手上がりがJFAやJリーグの要職に就ける流れになっていないから、そこを思い切って変え、選手のため、サポーターのために仕事をしてほしい。組織を維持するための厳しい指導は結構ですが、J2の小さな声にも耳を傾けてほしいよね」
――最後の質問です。18年間のプロ生活を経て、手にした見晴らしはいかがですか?
「いろいろ憶えてはいるけれど、思い出すことはない。感慨らしきものは何も浮かばないね。人に紹介されるとき、ワールドカップに出たことをよく付け加えられるんです。横で聞きながら、今の俺にはまったく関係がないと思っている。あと何年やれるかな……。ま、走れなくなったらおしまいでしょ。
自分のプレーに値が付かないなら、指導者の道に進むと決めているから怖さや迷いがない。将来のために選手のうちにできるだけ多くの経験を積みたい。ふとした瞬間、自分は幸せだなって思うよ。いいトシしたおっさんが朝から走って、ボールを蹴ってさ。これ以上ない幸せだね」
服部はキャンプでたっぷり日焼けした顔をほころばせ、「じゃ、また」と去って行った。岐阜ではキャプテンを務め、ピッチ内外でこれまで培った経験を若い選手に受け渡していくに違いない。
鉄人に気負いはなく、19年目のピッチに喜々として駆けだしていく。飄々と、軽やかに。スパイクを置くのは、まだしばらく先になりそうだ。
【了】