ロナウジーニョ外しによる大きなバッシング
ロナウジーニョは自分のクラブであるバルセロナで見せているプレーの質にはほど遠く、2002年大会で得点王となったロナウドに至っては明らかに体重オーバーで精彩を欠いた。
「合宿の時から選手が大会に集中していなかった。みんながチームよりも自分のプレーを優先してばらばらだった」
2006年8月末、ドゥンガが初めて指揮をとった対ノルウェー戦で、ロナウジーニョとカカ、それまでの主力選手二人をベンチに置いた。
ドゥンガはある選手を呼んでこう諭したのだと教えてくれた。
「クラブではお前を中心にチームを作っているかもしれない。でもセレソンではチームの一人だ。君も他の選手のために動かなくてはならない。君がそうしたプレーをすれば、周りの選手も君のために動いてくれる。それがチームというものだ」
“ある選手”とはロナウジーニョのことだろう。
それまでブラジル代表に呼ばれるのは、ブラジル国内のビッグクラブ、あるいは欧州の著名なクラブ所属の選手が多かった。ドゥンガ、そしてコーチとなったジョルジーニョは欧州をこまめに視察し、小さなクラブから埋もれていた選手を招集した。
ロナウジーニョのようなもっともブラジル的な選手を外し、地味で規律を守る選手を招集したドゥンガに対してメディアの風当たりは強かった。
2006年秋に話を聞いた時、ぼくは「エラ・ドゥンガと呼ばれた選手時代と同じように、また貴方は批判されているね」と話を向けると、
「あれはひどかった。でも今はもっと酷い。酷くなっているよ」
ドゥンガは苦笑いした。
【次週へ続く】