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パレスチナ問題、日韓関係から考える。サッカーは“代理戦争”の場としてふさわしいのか?

text by 三浦有喜 photo by Yuki Miura

サッカースタジアムでの「中東和平」

「彼のスローガンは拳銃だ。それに対して私のスローガンはサッカーである。サッカーのメッセージは愛と平和だ」

 この言葉を発したのは、マフムード・サルサクという人物だ。若くしてパレスチナ代表に選ばれ、将来を嘱望されるサッカー選手の1人だった。

 ある事件をきっかけに、サッカーから離れざるを得なくなってしまった彼だが、再びパレスチナ代表としてプレーすることを切望している。なぜこのような言葉を発したのか。それには、彼のこれまでの人生を説明する必要がある。

 ある日、自宅のあるガザ地区の自宅からヨルダン川西岸地区での試合に向かっていたサルサクは、突然イスラエル兵に拘束されてしまった(ガザ地区とヨルダン川西岸地区は離れた場所にあり、一度イスラエルを通過しなければ行き来することができず、通過できるか否かはイスラエル側の判断次第である)。

 なぜ拘束されたのかがはっきりしていなかったため、彼は非暴力抵抗運動の1つであるハンガーストライキを行った。その抗議は、命が危ぶまれるほどまでに続いたと言われている。この不当な拘束は約3年間に渡り、捕まった当初22歳だったサルサクは、サッカー選手として大切な時間を奪われてしまった。

 その後、解放されたサルサクの元に、“世界的ビッグクラブ”からの思いもよらない吉報が舞い込む。FCバルセロナから「『エル・クラシコ』に観客として招待したい」というものだった。だが、この試合には他にも「ゲスト」がいた。そのゲストとは、ガザ地区のハマス武装組織によって囚われていたイスラエル兵であった。

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