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遠藤保仁――ガンバ・スタイルの真髄

text by 西部謙司 photo by Kenji Yasuda

サッカースタイルが初優勝で変わった?

――2005年は初優勝のシーズンです。この年はアラウージョが入ってきて、33得点で年間最優秀選手にも選ばれています。もうこのときは現在のスタイルですよね。

遠藤 そうですね、だからやっぱり04年から変化があったのだと思います。

――それまでのオーソドックスなサッカーから変わったきっかけは何だったのでしょう。

遠藤 明確なきっかけはないんです。西野監督も当初は攻撃的なサッカーをしていた印象がないです。どちらかというと、しっかり守っていこうという感じで。

 僕らから監督にパスをつなぎたいとか、そういう話をしたわけでもない。何かきっかけを探すなら、やっぱりマグロンぐらいしか思いつかない。

――05年のリーグ優勝のときは、それまでと何が違っていたんでしょうか。

遠藤 わからないですねえ。ただ、4点とられても5点とれる自信だけは、なぜか持っていたんですよ。メンタルの持ちようは違っていました。

――なぜ、05年でそういうメンタルに変わったのですか?

遠藤 積み重ねじゃないですか。04年も打ち勝つゲームがほとんどだったので、オープンな試合になれば負けないという自信がついていったのだと思います。

――優勝した年は、2トップに大黒とアラウージョ、トップ下にフェルナンジーニョという前線でした。アラウージョはクルゼイロへ移籍してしまうのですが、優勝の原動力でした。

遠藤 清水エスパルスのときは、そんなに印象がなかったんですが、来てみると何でもできる選手でしたね。まあ、見てて楽しいというか、何かしらないけど抜け出していくし、僕らの言うことも聞いてくれましたし。やりやすかったですね。

――フェルナンジーニョは?

遠藤 フェルナンジーニョはドリブラーですね。ドリブラーなので持ちすぎのときもあったのですが、それもアクセントになっていました。相手にすればアラウージョよりフェルナンジーニョのほうが嫌だったかもしれませんね。

――このころから、G大阪といえばブラジル人選手が活躍しては移籍して、入れ替わっていくチームというイメージになっていきます。ブラジル人のアタッカーを上手く使っていくコツはありますか?

遠藤 どういうわけか、うちに来るのはチャラいブラジル人じゃなくて、わがままでもなく、チームのためにプレーするタイプだったんです。日本に合っている選手が多かったので、やりにくさはなかったですね。うちはパスを回すし、彼らもプレーしやすかったんじゃないですか。

 FWはパスが入ってくる回数も多いし、来たら決めればいいんでしょという気持ちでプレーしていたと思います。

――ブラジル人のアタッカーがJリーグでプレーする場合、守備に問題が出る傾向がありますよね。

遠藤 そこもあまり問題なかったです。アラウージョはボールとるのが滅茶苦茶上手かったですし、フェルナンジーニョはちょっとサボるけど、西野さんは外国人に対してもけっこう厳しく言う方だったので、そこはあまり問題にはならなかった。そういう苦労はなかったんですが、失点はハンパなく多かったです(笑)。

 まあ、後ろの選手には申し訳ないんですけど、先に1、2点あげてもいいよと思ってましたから。

――4点とられても5点とる。

遠藤 なぜか、点をとれる自信がみなぎっていました。さきほど言ったとおり、急にそうなったのではなくて積み重ねで。


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