貧民街の現実
ドゥンガ財団が注力していたのは、レスチンガ地区に設立した『スポーツクラブ・シティズン』という施設だった。
施設はサッカー用のピッチを備えているが、アスリートを育てることが主たる目的ではない。
「子供たちに社会の基本的なルールや、最低限のマナーを教えること。例えば、歯を磨くということを知らないという子供までいる。両親がきちんとした職についていないので、学校にも通えない。だから、勉強の手助けもしている。彼らに少しでも未来が開けるようにしたいと思っている」
2004年にぼくはドゥンガの案内でこのレスチンガ地区を訪れた。
ブラジル南部という単語から、ラテンアメリカの人間が思い浮かべるのは、牧草地の中をガウショ(南米風のカウボーイ)が牛を追っている風景だ。また、南部は金髪碧眼の白人の割合が多い。州都ポルトアレグレは古き欧州の香りを漂わせた秩序のある街というのが一般的な印象である。
しかし、目の前、いわゆるポルトアレグレの印象とは大きく違っていた。
雨で黒く変色した板きれや、表面が崩れかけた煉瓦で出来た平屋建ての家が建ち並んでいる。
悪名高き、ブラジルの貧民街である――。
「これでもだいぶましになったんだよ。前はバラック造りの家しかなかった。僕たちが事を起こすことによって、州政府も見過ごしていくわけにはいかなくなって、援助するようになったんだ」
ドゥンガは、強い太陽の光を手で遮りながら、前庭に菜園のある木造の家を指さした。