規律を取り戻すため代表監督に抜擢されたが…
今から7年前――2006年ドイツ大会のブラジル代表は大きな期待を背負っていた。
ロナウド、ロナウジーニョ、ロビーニョ、アドリアーノ、カカ――選手個々の能力だけ見れば最強のチームであることは間違いなかった。そして、ブラジル人の愛する〝ジョーゴ・ボニート(英訳すればビューティフル・ゲーム)〟を体現できるチームだった。
しかし、才能ある選手たちは気まぐれで、チームとしてのまとまりに欠けた。合宿中から問題が頻発し、準々決勝でフランスに敗れた。
強いチームには規律が必要である。当たり前のことに気がついたブラジルサッカー協会が次の監督としてドゥンガに声を掛けたのは必然だったろう。
ただし――。
ブラジル監督に就任した2006年10月末にもぼくはポルトアレグレで彼に取材している。
サンパウロの空港に向かう前、旧知のブラジル人ジャーナリストにこれからドゥンガに会いに行くと言うと「彼が個別のインタビューに応じるだなんて、お前はどんな魔法を使ったんだ」と驚いた顔になった。
すでに監督ドゥンガとブラジルメディアとの関係は最悪だった。それは2010年W杯まで続くことになる。
【次週へ続く】