技術の向上と意識の変化
よって、「ミスをなくせ」というのではなく、「ミスがある」ことを前提に、現状のシステムが妥当なのかという議論を進めていくべきではないだろうか。もちろんミスを減らしていく努力は必要なのだが、同時に、ミスが絶対にゼロにはならないという前提をシェアすることも重要だ。
個人的には、ゴールに直接関わる判定に限ったチャレンジシステム(監督が1試合に何回か、ビデオ判定を求める権利)の導入を推したいところで、機械によるゴール判定システムが導入されたように、長期的には採用の可能性もあるように思う。
審判のミスを「それもサッカー」と許容するというのも一つの道である。ただ、そもそもミスを嫌い、成功することよりもミスをしないことを重視する傾向のある日本の文化を思うと、これはなかなか難しい。それでも、日本の審判の技術は少しずつ上がっている。
長年、課題と言われて久しい「コミュニケーション能力」も末端を含めて随分と変わってきたように思う。たとえば、流経大柏高の本田裕一郎監督は「昔の審判は『何でいまのがファウルなんですか?』と質問しただけでイエローカードを出してくるような人ばかりだった。
それがいまはきちんと説明してくれる人が大半。昔は『審判には黙ってろ。我慢しろ』と言うしかなかったが、いまは『審判と話をしなさい。わからないことがあったら質問しなさい』と言えるようになった」と、“審判業界”の気風が変わってきたことを指摘し、歓迎している。
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