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日本のレフェリーは本当にレベルが低いのか? 「審判問題」の本質を問う

text by 石井紘人 photo by Asuka Kudo / Football Channel

「審判問題」はなくならない

 審判批判はタブーなのではなく、あくまでもスポーツという枠の中での批判でなければいけない。付け加えておきたいのは、審判員はミスを認めているということだ。有名なのは吉田寿光。講演のたびに、ドイツW杯アジア最終予選5位決定戦のウズベキスタン×バーレーン戦でおかした歴史的ミス(再試合となったPKにまつわる適用ミス)を語っている。

 付随し、多くのJ1担当主審たちも、後進のために、審判資格の更新講習会で映像を使って自身のミスをオープンにしている。

 また、「レフェリーはミスをしても何も起こらない」と多くの関係者が口にするが、審判員もJ1からJ2担当への降格、割り当てが無くなることもある。J1に定着できずに引退する審判員は数多く存在する。そればかりか、トップを目指す審判員が少なく、審判員全体の数も不足している。

 それを開示するか、しないかは、JFA内の審判委員会やJリーグに委ねられている。「日本の審判員は欧州と違ってミスを認めない」と現場の審判員たちに矛先が向かうのはナンセンスではないか。

 これからもいわゆる「審判問題」はなくならないだろう。サッカーに造詣が深いわけではない、ビートたけしはサッカーをこう表現する。

「サッカーくらい不自由なスポーツはないよ。頭と足しか使っちゃいけない。どんなことしてもゴールしていいんだったら、アメリカなら球をミサイルで打つんじゃないかって。それじゃ面白くない。不自由な括りの中で、スーパースターがどれだけ自由な演技ができるかという、そこに感動がある」

 これがサッカーの醍醐味で、その不自由な括りには監督や選手、審判のミスも含まれる。欧州には、そういった認識があるという識者は多く、上川や家本も「欧州の選手は、ミスに対してエキサイトするけど、フランクだから、ミスを認めるとそれで終わりになる」という。だからこそ、まとわりつくような審判批判を繰り返すモウリーニョ監督は異端として扱われている。

 審判批判をすることが、悪なのではない。ただ、「自分でやったことがない人は、それがどれだけ大変なことか分からないため、痛烈な批判をしてしまいがちです」という福澤諭吉の言葉を借りれば、審判を理解した上でのオルタナティヴのある批判でなければ、審判への信頼感は溝を深めるだけではないだろうか。

【了】

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