レジェンドから聞かれた共通の名前
ぼくがその監督を始めて実際に見たのは93年のことだった。
国立競技場で行われたトヨタカップで彼が率いるサンパウロFCがイタリアのACミランと対戦した。サンパウロFCの試合運びはぼくが勝手にイメージしていたブラジルサッカー――個人技に頼ったサッカーではなく、よく組織されたリズムのいいものだった。それ以来、テレ・サンターナという名前を意識するようになった。
その後、ブラジルのサッカーを取材するようになり、ジーコ、ソクラテス、オスカー、カレッカ、レオナルド、アルシンドたちに話を聞くと、「テレ・サンターナ」という単語がかなりの頻度で飛び出してきた。彼らがこの名前を口にする際、尊敬の念が込められていた。いつか彼に話を聞いてみたいと思うようになったのだ。
テレ・サンターナは、1931年6月26日にブラジルのミナス・ジェライス州のイタビリートで10人きょうだいの3番目として生まれた。
イタビリートは、州都ベロオリゾンテから約55キロ離れた小さな町である。地元の『イタビリレンセ・スポーツクラブ』でプレー、同じミナス州のサンジョアン・デル・レイの『アメリカ』、リオ・デ・ジャネイロの『フルミネンセ』の下部組織に移った。
1951年、フルミネンセのトップチームに昇格、60年までの間に557試合に出場し、165得点を挙げている。これはフルミネンセ歴代3位の得点数である。
同じ右ウィングのポジションに、ブラジルの伝説的な選手、マネ・ガリンシャがいたため、ブラジル代表には定着することはなかった。
『グアラニ』、『マドゥレイラ』を経て、『バスコ・ダ・ガマ』で63年に現役を引退した。引退後、指導者に転身、68年にフルミネンセの下部組織を率いてリオ州選手権で優勝、69年からトップチームの監督となった。トップチームでも1年目からリオ州選手権で優勝している。