監督としての役目
そのザガロとぼくは2002年に話をしたことがある。
当時、ぼくは広山望という選手を追いかけていた(後に『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』という本を上梓する)。広山はパラグアイのセロ・ポルテーニョからブラジルのスポルチ・レシフェに移籍したが、就労ビザが下りず登録できずにいた。
ワールドカップ直前、ドイツのデュッセルドルフで行われる世界選抜対ボルシア・ドルトムントのチャリティマッチに出場することになった。
この試合の主催者は、元ニュージーランド代表のウィントン・ルーファーだった。広山とルーファーはジェフ市原で同僚だった時期があった。
世界選抜とはいえ、実質的にはルーファーと広山以外はほとんど元ブラジル代表だった。ドゥンガ、ジョルジーニョ、アウダイール、ベベット、ゼ・ロベルト、ジャウデル。そのチームを率いるのがザガロだった。
ぼくは広山と一緒に試合前のロッカールームに入れて貰った。部屋の真ん中で、ザガロが「タファレル、ジョルジーニョ、アウダイール……」と先発メンバーを読み上げた。ワールドカップでも同じようにしていたのだと思うと、この場に立ち会えたことが嬉しかった。
前夜、ぼくと広山はジョルジーニョから誘われてブラジル人たちの食事会に参加している。
その場でぼくはザガロに話しかけた。
コパ・アメリカの姿が脳裏にあったため、恐る恐る近づいた。すると、拍子抜けするほどの好々爺だった。ぼくはずっと貴方を誤解していたと言うと、彼は声をあげて笑った。
「ブラジルのメディアというのは、本当にひどい。コパ・アメリカの時、あんな風に言ったのは、いつも俺の悪口を言っていた奴がそばにいたからだよ」
ザガロの座っていたテーブルには、ひっきりなしに元ブラジル代表の選手たちが挨拶に現れた。まるで父親のようだった。
自分が選手を守るのだ。そう思ったからこそ、彼は選手に対して盾となり、メディアに対して感情を爆発させた。それだけセレソンの監督というのは苛酷な職業なのだ。
【了】