ミランの戦略ミスではなかった
このフットボールチャンネルで「本田ミラン確定」の第一報が打たれたのが7月5日。そして、さらにその報を追認すべく第二報が載ったのが7月12日。前者の情報源と後者の執筆者はいずれも私である。だが結果として、周知の通り、2013年夏の移籍市場最終日(9月2日)をもって「ミランの本田」は実現をみることなく終わった。
ゆえに今、これを記名で書いた私の件の記事を信じた日本のファンの中で落胆している方がいるという。結果的には「誤報」となってしまったのだからその点については潔く、深々と頭を下げたい。だが、私は「飛ばし」たわけでもなく、取材に基づいての執筆である。その点はご理解頂けると幸いだ。
そして一連の移籍報道で記名記事を執筆した者はあまりに少なかった。デリケートな話題だけにわからなくはないが、果たしてそこにジャーナリズムはあるのだろうか。私はジャーナリストとして今後も正々堂々、記名での執筆を続けたい。
では早速、「本田ミラン」が今夏に実現しなかった理由を述べたい。複雑な事情の絡み合いゆえに両者(ミランとCSKA)の間に溝が生じ、それが遂には修復不可能になり破談となった。そうきっと誰もが考えるのだろうが、現実には何ら複雑でも難しいことでもない。単にCSKA側が無用なゲームに興じては儲けることのみに終始したからである。
一部にはその「CSKA側の意図を読み違えたミラン首脳サイドの責任」とする声もあるようだが、それは完全に的を外した見方だ。そもそも、今回の一連の経緯を追っている記者であれば「ミラン側の戦略ミス」とは書けないはずである。少なくとも、この私にはあれだけの不誠実と強欲は予見できなかった。