岡山劇場の光と影クローズ後の苦悩
川崎フロンターレ、柏レイソル、ベガルタ仙台でサポーターと一体になる画を確立した稀有なプロフットボーラー、岡山一成。等々力では牛乳ケースの上に乗ってゴール裏と交流する文化にめざめ、日立台では柏に家を買えと叫ばれ、ユアスタでは「aux Champs-Elysees( オー・シャンゼリゼ)」を合唱した。サポーターと歓喜を分かちあう、楽しげな岡山劇場の光景。しかし光あるところには影がある。コンサドーレ札幌の最後には、劇場はクローズしてしまった。光が射したあとに生じた苦悩とはなんだったのか。
――ピッチにいてサポーターの力を感じることはありますか?
岡山 はい。選手の立場として、サポーターとリンクした試合は、自分たちの実力以上のパフォーマンスが出せるんですよ。サポーターが勝たせてくれた試合を経験した選手は、その力を感じる。あれを味わいたくて、おれはまだサッカーをやめないでいるんですよね。純粋な勝ち負けだけだったら、もう行きついている部分はあるんですよ。あの感覚をサッカー以外で味わえるんだったらそっちにいくけれども、選手、スタッフ、サポーターがひとつの生き物になって成し遂げたという感覚はほかにない。
サポーターのおかげで勝てた試合は全部覚えてますよ。
――具体的には?
岡山 いや、それを言いだしたら、全部言わなあかんから(笑)。
――わかりました。とにかく、サポーターの力が選手を後押しするという実感を得ているのはたしかなんですよね?
岡山 ちょっと長くなりますが、それには韓国であったことを話さないといけないですね……ぼくが浦項スティーラーズに在籍していたとき、ACLでサンフレッチェ広島とホームで対戦したあと、広島の選手たちに焼肉をふるまったことがあるんですよ。
そのとき槙野(智章)に「岡山劇場を見て自分もやりたいと思って始めました」と言われたんです。おれもゴンさん(中山雅史)が、「中山隊長ゴンゴール」のチャントを歌われながらジュビロのサポーターと喜びを分かちあう光景を眼にして、フロンターレで「岡山劇場」を始めた。それがサンフレッチェ劇場に受け継がれて、広島のサポーターが浦項に来てくれたことに深い感慨がありました。で、ここが重要なんです。
――どう重要なんですか?
岡山 話はだいぶん遡るんですが、高校卒業後、済州ユナイテッドFCの前身となるクラブに留学した際にお会いしたキム・ギドン選手が、その浦項にいたんですよ。2011年に39歳で引退したKリーグ最高齢得点記録を持つレジェンドなんですけど、18年ぶりに会ったのにぼくのことを憶えていてくれていて、ようサッカー選手続けてたなぁ、と言ってくれたんです。