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連載コラム 11年前

元Jリーガー・西村卓朗の新たな挑戦 第4回 波乱続きのリーグ開幕戦

わからないことをそのままにしてはいけない

 別の分野では【③来季中の目標に掲げたハード面の整備】。

 グラウンドの着工、クラブハウス建設があり、それに向けたリサーチ、Jクラブ巡り、また設計会社や、建設業者とのミーティングも頻繁に行われた。

 やったことがあることならまだしも、ミーティング中に出てくる聞き慣れない専門用語はとにかく脅威で必死にメモに残し、何がわからなくて、何を決めていかなければならないかを精査することに努めた。この作業にはとにかく神経をすり減らされた。

 わからない専門用語を流れるように話されると、やけに説得力があり、口をはさむのが難しい。何度かはわかったようなフリをして聞いていたが、それをやっていてもまったくラチがあかないことに気付き、知ったかぶりをやめとにかく聞きまくるようにした。

 そして何がわからないかが、わかるようになってくると問題が自然と浮き彫りになってきて、解決がスムーズになるようになった。

 わからないことをそのままにしてはいけないと改めて思う出来事だった。

 さらにやっていたことは、【④他種目のスクール事業の準備】。

 4月の2週目からは始める計画でいたので、3月は種目の選別。種目はダンスにすることに決まり、3月末からは場所選び、金額設定、規約作りPRに広告宣伝とやることだらけの4月だった。

 その他では【⑤選手の職業斡旋】。

 そのためには異業種交流会にも積極的に参加した。最近の流行のようで、それは早朝7時から行われたりする。のちにその成果で就職する選手が決まった時にはうれしかった。とにかくこの時期にはやることは多岐に渡った。

 この時期にもし、On the pitchで結果が出ていなかったら、自分は早々にパンクしていたかもしれない。それくらい3月、4月はクラブマネジメントの慣れない仕事に四苦八苦する毎日だった。

4月 Off the pitch

 こんな状況の中、家族とゆっくり過ごす時間はやはりとれず、夜も連日現場サイドのミーティングは行っていたので、家族とはすれ違う生活が続いた。なんとかしなくては…思いながらも成果を出すために焦る自分がいたのは事実だった。

 こういう時はいろんなことが重なるもので、子供が体調を崩すことが増えたり、それに伴い妻も疲弊して体調を崩すことが何度かあった。そんな時、妻の両親や、自分の両親が駆けつけてくれたのが、何よりも救いで本当に助けられた。環境の変化でいつもは使わないエネルギーを使っているのだなと実感する日々であった。

【第5回につづく】

プロフィール

西村卓朗

1977年8月15日生まれ、東京都出身。

【サッカー選手歴】
スポーツクラブシクス-三菱養和SS(ジュニアユース、ユース)-国士舘大学-浦和レッドダイヤモンズ(2001-2004)-大宮アルディージャ(2004-2008)-Portland Timbers(2009/アメリカ2部)-Cystal Palace Baltimore(2010/アメリカ2部)-コンサドーレ札幌(2011)

【コーチ歴】
浦和レッドダイヤモンズ ハートフルクラブ普及コーチ(2012)
VONDS市原監督(2013~)

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