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連載コラム 11年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。“10番”ロナウジーニョの思わぬ高給のからくり

ロナウジーニョが披露したシャペウ

 その中でも83年と95年にグレミオがタイトルを獲得したのは、やはりトーナメント戦に強い堅守型だったからだろう。

 同じ都市を本拠地とする、グレミオとインテル――この二クラブの敵対心は相当なものである(2006年になってインテルもようやくリベルタドーレス杯を獲得した)。決勝は当然盛り上がることになった。

 その試合で、ロナウジーニョはドゥンガを〝シャペウ〟で抜き去った。シャペウは、ポルトガル語で帽子を意味する。ボールをふんわりと浮かせて、相手の頭を越えて抜き去る技である。

 ブラジル代表キャプテンだったドゥンガは、ジュビロ磐田から母国に帰国、古巣のインテルに戻っていた。ロナウジーニョは前年のトップチームでデビューしたばかりの若手選手だった。

 ブラジル人はドリブルの得意な、派手で攻撃的な選手を好む。ドゥンガのような地味なガウショらしい選手はあまり人気がない(試合で本当に頼りになるのは彼のような選手なのだが)。

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「10番の選手は作る物じゃない」と語るジーコ【写真:田崎健太】

 ガウショらしからぬ、繊細なボールタッチのロナウジーニョが嘲笑うかのようにドゥンガを抜いた場面を、ブラジルのテレビ局は繰り返し放送した。ドゥンガが若手のロナウジーニョに抜かれたことは、彼の時代の終わりの象徴と捉えられた。

 ブラジルは「10番」の選手に飢えていた。リバウドはバルセロナFCでは輝いていたものの、セレソンではさっぱりだった。自信を持ってゲームをコントロールするタイプではなかった。ペレ、ジーコから長らく本物の10番が不在だった。

 ジーコはぼくにこう語ったことがある。

「10番の選手というのは、生まれてきた時から10番のユニフォームを着ているんだよ。作るものじゃない」

 ロナウジーニョはまさに10番のユニフォームで産まれてきた男だった。ブラジルらしい美しいフッチボールの匂いをぷんぷんまき散らしていた。

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