ロナウジーニョが披露したシャペウ
その中でも83年と95年にグレミオがタイトルを獲得したのは、やはりトーナメント戦に強い堅守型だったからだろう。
同じ都市を本拠地とする、グレミオとインテル――この二クラブの敵対心は相当なものである(2006年になってインテルもようやくリベルタドーレス杯を獲得した)。決勝は当然盛り上がることになった。
その試合で、ロナウジーニョはドゥンガを〝シャペウ〟で抜き去った。シャペウは、ポルトガル語で帽子を意味する。ボールをふんわりと浮かせて、相手の頭を越えて抜き去る技である。
ブラジル代表キャプテンだったドゥンガは、ジュビロ磐田から母国に帰国、古巣のインテルに戻っていた。ロナウジーニョは前年のトップチームでデビューしたばかりの若手選手だった。
ブラジル人はドリブルの得意な、派手で攻撃的な選手を好む。ドゥンガのような地味なガウショらしい選手はあまり人気がない(試合で本当に頼りになるのは彼のような選手なのだが)。
ガウショらしからぬ、繊細なボールタッチのロナウジーニョが嘲笑うかのようにドゥンガを抜いた場面を、ブラジルのテレビ局は繰り返し放送した。ドゥンガが若手のロナウジーニョに抜かれたことは、彼の時代の終わりの象徴と捉えられた。
ブラジルは「10番」の選手に飢えていた。リバウドはバルセロナFCでは輝いていたものの、セレソンではさっぱりだった。自信を持ってゲームをコントロールするタイプではなかった。ペレ、ジーコから長らく本物の10番が不在だった。
ジーコはぼくにこう語ったことがある。
「10番の選手というのは、生まれてきた時から10番のユニフォームを着ているんだよ。作るものじゃない」
ロナウジーニョはまさに10番のユニフォームで産まれてきた男だった。ブラジルらしい美しいフッチボールの匂いをぷんぷんまき散らしていた。