スポーツ万能一家で生を授かる
昭和という時代が終わり、日本が平成の世へと本格的に歩み出した90年1月。柿谷曜一朗は大阪北東部の都島区で誕生した。父はかつてアメリカンフットボールやバスケットボール、母は陸上競技の選手として活躍し、姉も目下ダンスを極めているというスポーツ万能一家に生まれた彼は、天性の運動神経の高さを持ち合わせていた。
「特にすごいのが親父ですね。ちっちゃい頃、よく一緒にプールへ行ってビーチボールで遊んだけど、ボール扱いに長けているんです。ダーツをやってもうまいし、スポーツのセンスが抜群でしたね。負けたくないから一生懸命向かっていくんやけど、絶対に勝てない。そんな親父が最初のライバルみたいな感じだったです」
目の中に入れても痛くない長男をサッカーの道に導いたのも父だった。93年5月15日のJリーグ開幕戦・横浜マリノス対ヴェルディ川崎戦を家族揃ってテレビ観戦し、興奮する3歳の曜一朗少年の姿を見て、父は自宅から車で20~30分の場所にあるセレッソ大阪神崎スクールへ息子を連れていくことにした。
「幼稚園の頃でした。でも最初はめっちゃ下手で、リフティングもできんかった。1人うまい子がおって、自分が全然ダメやと感じるから面白くなくて、『もう辞めたい』『行きたくない』とお母さんに駄々をこねていたのをよく覚えています」と本人は苦笑いする。
小学生になると、その上手な子が他のクラブへ行き、自分自身のスキルが徐々に向上してきたのも重なって、俄然、やる気になった。全盛期だったヴェルディ川崎に憧れ、カズ(三浦知良=現横浜FC)のフェイントやシュートを見て胸をときめかせたことも、サッカーへの意欲を掻き立てた。