プラティニを招いたサルコジ。すべてはそこから始まった
13年1月29日に発売されたフランスフットボール誌は、サッカー界に大きな波紋を投げかけた。真っ黒い背景に大きく白抜きされた『QATARGATE』(カタールゲート)の文字。その強烈なインパクトと同様、22ページにわたって綴られた特集の中身も、衝撃的な内容だった。
ここで語られているのは、カタールに与えられた22年のW杯開催権は金で買われたものであり、それにはUEFA会長のミシェル・プラティニと、当時のフランス国大統領、ニコラ・サルコジが関与していたということ。
遡ること10年11月、サルコジは公邸であるエリゼ宮に、カタール国王子(今年6月に父ハマド首長から譲位)ハマド・ベン・カリファ・アル・ターニと、当時のパリ・サンジェルマン(PSG)会長セバスティアン・バザン氏、そしてプラティニを招いた。
同誌によれば、このとき彼らの間で、当時経済難に陥っていたPSGをカタールが救済すること、カタールの国営放送アル・ジャジーラの傘下にあるスポーツ放送局(現BeINスポーツ)を、それまでカナル・プリュスが独占していたフランス市場に参入させること、そして、カタールが今後もフランス国内で投資を増やしていくことなどについて、約束が交わされた。
そして、各方面へ多額の融資を受けることへの見返りに、W杯の開催地を決定する抽選会でカタールを支援するようサルコジ大統領がプラティニに要請した。これがフランスフットボール誌によって暴かれたカタールゲートの舞台裏だ。
それから数日後の抽選会で、プラティニは約束どおりカタールに票を投じた。それまで、アメリカを支援していることを匂わせていたにもかかわらず、だ。