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連載コラム 11年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。フレッジとデコの母国復帰が意味するもの

ヨーロッパのトップクラスで活躍したブラジル人選手が自国に帰ってプレーするケースが増えている。その背景にはブラジルの景気が上向いていることもある。以前よりも高給でプレーできるため、敢えて外へ飛び出す必要がなくなったのだ。

リヨンへ移籍したフレッジ

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【写真:田崎健太】

 2008年12月にロナウドが母国ブラジルのコリンチャンスへ移籍した後、セレソンクラスの選手の帰国が相次いだ。

 まずはフランスのオリンピック・リヨンに所属していたフレッジである。

 身長185センチのフレッジは、ロナウドの後継者として早くから期待された“9番”だった。ミナス・ジェライス州のテオフィオ・オトニという小さな街で産まれ、州都ベロオリゾンテの『アメリカ』というクラブでデビューしている。

 同じ街に本拠地を置くクルゼイロ、アトレチコ・ミネイロと比べると知名度は低いが、古くは70年優勝メンバーのトスタン、2002年優勝メンバーのジウベウト・シルバ、ヴェルディや鹿島アントラーズでプレーした快足フォワードのエウレルなどを輩出している。

 フレッジはアメリカからクルゼイロに移籍、2005年には43試合で41ゴールという驚異的な数字を残している。奇しくもクルゼイロはロナウドが所属したクラブでもある。フレッジもロナウドと同じように、ブラジルでの〝滞在期間〟は短かった。クルゼイロで2年過ごした後、2005-06年シーズンからフランスのオリンピック・リヨンに移籍した。

 リヨンは黄金期を迎えていた。2001-02シーズンからフランスリーグを連覇。チャンピオンズリーグでもベスト8に進出、ブラジル人の天才、ジュニーニョ・ペルナンブッカーナを中心として攻撃的なサッカーを展開していた。世界への足がかりとしては最適のクラブのように思えた。

 ところが――。

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