リヨンへ移籍したフレッジ
2008年12月にロナウドが母国ブラジルのコリンチャンスへ移籍した後、セレソンクラスの選手の帰国が相次いだ。
まずはフランスのオリンピック・リヨンに所属していたフレッジである。
身長185センチのフレッジは、ロナウドの後継者として早くから期待された“9番”だった。ミナス・ジェライス州のテオフィオ・オトニという小さな街で産まれ、州都ベロオリゾンテの『アメリカ』というクラブでデビューしている。
同じ街に本拠地を置くクルゼイロ、アトレチコ・ミネイロと比べると知名度は低いが、古くは70年優勝メンバーのトスタン、2002年優勝メンバーのジウベウト・シルバ、ヴェルディや鹿島アントラーズでプレーした快足フォワードのエウレルなどを輩出している。
フレッジはアメリカからクルゼイロに移籍、2005年には43試合で41ゴールという驚異的な数字を残している。奇しくもクルゼイロはロナウドが所属したクラブでもある。フレッジもロナウドと同じように、ブラジルでの〝滞在期間〟は短かった。クルゼイロで2年過ごした後、2005-06年シーズンからフランスのオリンピック・リヨンに移籍した。
リヨンは黄金期を迎えていた。2001-02シーズンからフランスリーグを連覇。チャンピオンズリーグでもベスト8に進出、ブラジル人の天才、ジュニーニョ・ペルナンブッカーナを中心として攻撃的なサッカーを展開していた。世界への足がかりとしては最適のクラブのように思えた。
ところが――。
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